捜索者

あらすじ
1956年にジョン・フォードが監督した『捜索者』は、映画史に消えない足跡を残した古典的な西部劇である。アラン・ル・メイの1953年の小説『捜索者』を原作とし、1868年のテキサスを舞台に、南北戦争の退役軍人であるイーサン・エドワーズの物語を描いている。ジョン・ウェインが演じたイーサンは、ハリウッド最大のアイコンとしての地位を確立した重要な役柄であり、愛、憎しみ、忠誠心がないまぜになった、複雑で謎めいた人物である。 物語は、イーサンが故郷に戻り、ハリー・ケリー・ジュニアが演じる弟アーロン、アーロンの妻マーサ、そして若くて冒険好きなデビーを含む3人の子供たちに迎えられるところから始まる。イーサンの姪であるデビーは、エドワーズ家の農場への襲撃中に、コマンチ族の一団に誘拐され、血と混乱の跡を残していく。(アーロンは救出に向かうが、最終的に兄弟たちはデビーが唯一の生存者であることに気づく。) 姪を探し、救出したいという強い思いに駆られたイーサンは、自ら捜索の旅に出る。その決意は、執念に近い激しさを持っている。 イーサンが長く危険な旅に出ると、ジェフリー・ハンターが演じる甥のイーサンも同行する。若いイーサンは、叔父の話に魅せられ、価値のある仲間として自分を証明したいと熱望している。二人は共に、敵対的なネイティブアメリカンの部族、厳しい気象条件、そして危険な地形など、数々の困難に直面しながら、アメリカ西部を横断する危険な旅に乗り出す。 イーサンのデビー捜索が続くにつれて、彼の動機は、姪を救出したいという純粋な願望から、怒り、憎しみを含む、より複雑な感情の混合へと変化していく。デビーへの執着はますます深刻になり、彼の行動は彼の追跡の道徳観さえも疑わせるようになる。デビーを見つけることへのイーサンの執念は、南北戦争中の兵士としての経験や、家族との複雑な関係など、彼自身の暗い過去と向き合わせることになる。 映画全体を通して、ジョン・フォードは様々な映画的技法を駆使して、イーサンの感情と心理状態を伝えている。イーサンの顔の長いクローズアップは、姪への愛と彼女を捕らえたネイティブアメリカンの部族への怒りの間で引き裂かれた、複雑でしばしば葛藤を抱えた人物を浮かび上がらせる。フォードの構図と照明の使用もまた、シーンの緊張感とドラマを高めており、しばしば影やローアングルのショットを使用して、イーサンの脆弱性と攻撃性を伝えている。 『捜索者』の最も際立った側面の一つは、ネイティブアメリカンの扱いの描写である。映画は、人種的な固定観念や偏見の描写で批判されることが多い一方、フォードは白人入植者とネイティブアメリカンの部族との間の紛争の複雑さを描くことを目指していたことも明らかである。イーサンの性格はしばしばネイティブアメリカンに批判的であり、彼らの行動に対する罰に値する野蛮人として見ている。しかし、彼の旅が進むにつれて、彼は自分の行動の倫理的な意味合いと向き合い始め、ネイティブアメリカンの部族に対する彼の視点は変わり始める。 欠点はあるものの、『捜索者』は、暴力、人種差別、道徳に対する自身の態度に疑問を投げかける、力強く示唆に富む映画であり続けている。イーサンが最終的にデビーを捕らえた部族と対峙する映画のクライマックスは、スリリングであると同時に感情的に共鳴し、人間の本質の複雑さの力強い探求として機能する。ジョン・ウェインのイーサン・エドワーズとしての演技は象徴的となり、彼のスクリーン上の存在感は、時に人を惹きつけ、時に圧倒する。 結局のところ、『捜索者』は、その豊かな登場人物、見事な撮影、そして示唆に富むテーマで、観客を魅了し続ける画期的な映画である。ネイティブアメリカンの描写は問題があるものの、人間の本質、道徳、紛争の複雑さの探求は、豊かでやりがいのある鑑賞体験となり、今日でも観客を鼓舞し、刺激し続けている。
レビュー
おすすめ
