茲山魚譜(しさぎょふ)

茲山魚譜(しさぎょふ)

あらすじ

1801年、朝鮮でカトリック迫害が吹き荒れた時代を舞台にした『茲山魚譜』は、自己発見、芸術、そして不屈の精神を描いた、心に染み入る映像美あふれる物語である。丁浩昇(チョン・ホスン)による同名の高く評価された小説を映画化した作品。物語は、卓越した学者である丁若銓が、遙か離れた黒山島へ流刑となり、自身の知性が試されることになる。 島に到着した丁若銓は、厳しい現実に直面する。島は荒涼とした過酷な環境であり、かつての生活で慣れ親しんだような快適さや贅沢さは一切ない。かつては高貴な学者であった彼は、島の貧しい漁師たちと共に、わずかな食料を得るために質素な生活を送ることを余儀なくされる。流刑という最初のショックと失望にもかかわらず、丁若銓はこの状況を最大限に活用し、この異質な環境で自身の創造性と知性を表現する方法を見つけようとする。 この適応と内省の期間に、丁若銓は『茲山魚譜』のアイデアを思いつく。この野心的なプロジェクトはある種の百科事典だが、独特なひねりが加えられている。それは魚の形をした図で書かれるという点だ。この書物は単なる事実や数字の集積ではなく、学者の内なる世界と自身の置かれた状況を受け入れようとする葛藤を比喩的に表現したものなのだ。『茲山魚譜』の創作を通して、丁若銓は流刑という境界を超越し、置き去りにしてきた世界と再び繋がろうとする。 プロジェクトに深く没頭していくうちに、丁若銓は島の漁師たちの美しさと知恵に気づく。彼らは熟練した海の案内人であるだけでなく、自然界とそのリズムを深く理解しているのだ。彼らは学者に観察の技術と、今この瞬間に存在することの重要性を教え、それが彼に新たな目的意識と周囲の世界との繋がりを見出す手助けとなる。 申慧卿(シン・ヘギョン)という若い女性の登場もまた、丁若銓の人生と『茲山魚譜』の発展に大きな影響を与える。彼女の存在は流刑での孤立からの歓迎すべき息抜きとなり、彼女の無邪気さと好奇心は彼に新たな視点から世界を見るように促す。学者と若い女性が絆を深めるにつれて、彼は自身の過去の厳しい現実と自身の行動の結果に直面せざるを得なくなる。 映画全体を通して、丁若銓の物語は一連の鮮やかで幻想的なビジョンと絡み合っている。これらの夢のようなシーケンスは、学者が西洋文学、特にウィリアム・シェイクスピアやジョナサン・スウィフトの作品を読んだことに触発されている。それらは文学の普遍性と、文化的および言語的な境界を超越する芸術の力を証明するものとなる。 映画の映像は息を呑むほど美しく、島の風景の過酷な美しさと丁若銓の本の主題である魚の鮮やかな色彩を捉えている。その撮影は目の保養であり、海の広大なショットと学者の複雑な絵の詳細なクローズアップが満載である。 『茲山魚譜』は、芸術、文学、そして人生の交差点を深く探求した、美しく作り上げられた物語である。主人公の苦闘と成功を通して、この映画は人間の状態と、逆境を超越する創造性の力について示唆に富んだ解説を提供する。丁若銓が心と魂を『茲山魚譜』に注ぐとき、彼は本当の自由は本を書いたり芸術を創造したりする能力ではなく、新鮮な目で世界を見つめ、最もありそうもない場所に美を見出す能力にあることに気づくのだ。

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レビュー