ビルマの竪琴

ビルマの竪琴

あらすじ

市川崑監督の『ビルマの竪琴』は、戦争の人的犠牲を掘り下げた、示唆に富み、痛烈な映画である。第二次世界大戦終結間際を舞台に、日本人兵士が異国で生き残り、贖罪を見つけようとする必死の試みを力強く描いている。 物語は、主人公である水島上等兵が、ビルマで部隊とはぐれてしまう場面から始まる。連合軍が迫り来る中、水島は捕虜になるのを避けるため、自力で生き延びることを余儀なくされる。彼は苦肉の策として、仏教僧に変装し、「間宮」という名前を名乗り、侵攻してくる軍隊から逃れるために僧侶の集団に加わる。 僧侶となった間宮は、新たな自分のアイデンティティの複雑さを乗り越えながら、僧侶たちを注意深く観察し、僧院の生活様式を学ぶ。彼は、平和的な態度とは裏腹に、戦争の恐怖から免れていない僧侶たちの日常を目の当たりにする。間宮の新たな役割はまた、若い見習い僧である舟木との出会いをもたらし、彼は間宮の相談相手となり、僧院生活の複雑さを教えてくれる存在となる。 間宮の経験を通して、この映画は戦争の人的犠牲を巧みに浮き彫りにしている。兵士の行動は生き残りたいという願望に突き動かされているが、僧院に深く関わるにつれて、彼は自分の動機や行動の道徳性を疑問視し始める。暴力と流血に彩られた彼の過去が表面化し始め、彼は自らの良心の重さと格闘しなければならない。 一方、連合軍はビルマへの進軍を進めており、僧侶たちの寺院は兵士たちのための応急避難所となる。新たな仲間たちに愛着を持つようになった間宮は、兵士仲間への忠誠心と、僧侶として安全でありたいという願望の間で揺れ動き、二重のアイデンティティの複雑さを乗り越えなければならない。 物語が展開するにつれて、映画は痛ましい展開を迎える。純粋さの象徴であった舟木が、激しい小競り合いの中で命を落とすのだ。悲しみに暮れた間宮は、戦争の現実と、それがもたらす喪失に直面せざるを得なくなる。彼の行動はますます不安定になり、他の僧侶たちとの関係もぎくしゃくし始める。 映画のクライマックスは、心を痛めつけ、考えさせられるものである。偉大な人間性の瞬間において、間宮は残りの人生を左右する選択をする。彼は、戦場の混乱の中で失われた舟木の遺体を探しに行くことを決意し、痛切な行動として、その死に対する責任を取る。その行為は、戦争の最中においても変わることのない、人間の思いやりの力の証なのである。 『ビルマの竪琴』は、戦争の後遺症の中で平和と贖罪を見つける物語である。市川崑は、間宮の物語を通して、人間の本質の複雑さを探求し、私たちがどのように生存とつながりを求める願望の両方に突き動かされているかを浮き彫りにする。戦争を背景にした映画の静かな瞬間は、人間の精神が癒し、最も暗い時代でも希望を見いだすことができる能力への力強い賛歌である。 映画全体を通して、市川はさまざまな視覚的・物語的テクニックを用いて、物語の感情的な深さを伝えている。撮影は印象的で、ビルマの風景の鮮やかな色彩と質感を捉え、それが戦争の混乱の背景となっている。黛敏郎が作曲した音楽は、登場人物たちの経験の感情的なニュアンスを強調し、映画に痛烈な次元を加えている。 『ビルマの竪琴』は、エンドロールが終わった後も長く心に残る、力強い反戦映画である。その生存、思いやり、そして贖罪というテーマは、観客に共鳴し続け、人間の精神の不屈の力に対する不朽の証となっている。

ビルマの竪琴 screenshot 1
ビルマの竪琴 screenshot 2
ビルマの竪琴 screenshot 3

レビュー